クラシック界の異端児と称されるピアニストの反田恭平さん。
小さいころから絶対音感があったようですが、反田さんのご両親も音楽をやっていたのか気になりますね。
今回は、反田さんのご実家の家族構成や生い立ちについて調査しました。
反田恭平実家の家族構成!
反田さんの実家は3人家族です。
- 父親
- 母親
- 本人
どんなご両親だったのか、さっそく見ていきましょう。
父親母親について
父親はごく普通のサラリーマンで、音楽にはあまり関心のない人でした。
一部では東大卒のエリートだとか、大企業に勤めているとかいう噂がありますが、本当かどうかはわかっていません。
父親は反田さんがピアノをやることを良く思っておらず、幼少期は反田さんのピアノの練習をしていると「うるさい!」と怒ってテレビの音量を上げたり、ピアニストになりたいと言ったときに猛反対したりとしていたそうです。
さらに「あんなやつ息子ではない」「勉強したくないからピアノに逃げただけだ」と言うほど、息子である反田さんがピアノをやることを否定していたらしく、長い間父親と不仲だったそうです。
逆に母親は音楽が好きで、趣味でエレクトーンを弾いていました。
母親は反田さんのピアノの才能にいち早く気づき、音楽教室に通わせるのはもちろん、その送迎やピアノを弾くための環境を整えたり、中学生や高校生の頃はコンクールに出る反田さんのために朝早くからお弁当を作ったりと、反田さんを献身的に支えていました。
反田恭平の生い立ち!
反田さんは北海道札幌市で生まれ、4歳の頃に東京に引っ越してきました。
母親が趣味のエレクトーンで演奏していた「ミッキーマウスマーチ」を耳で覚え、そのままピアノで演奏してしまうという驚異的な才能で母親を驚かせ、近所のヤマハ音楽教室に通うようになりました。
音楽教室に通い始めてすぐに先生が弾くピアノの音をすべて言い当てることができるようになり、先生は「絶対の伸びるから、音楽を続けさせてあげてください」と、反田さんの才能に驚愕して母親に強く勧めたそうです。
小学6年生の頃、ドラマ「のだめカンタービレ」を見て、作中で演奏されていた交響曲やピアノ以外の楽器で演奏する曲をたくさん知り、中学生になると「ピアノの森」というマンガを読み、登場人物が演奏している曲を調べて楽譜を買い、片っ端から弾いていたそうです。
その頃にはヤマハ音楽教室を辞めて、一音会ミュージックスクールという音楽に特化した塾に通い始めます。
その後コンクールに出場するようになりますが、それまでは「自分が1番うまい」と井の中の蛙状態だったところ、コンクールで自分よりもうまい人がたくさんいることを知り、もっと本格的にピアノを学びたいと思って高校は音楽科のある学校に進学したいと父親に話します。
しかし、元々反田さんがピアノをやることに反対だった父親は「中学3年生までにコンクールで1位を取ってきたら行かせてやる」という条件を出し、当時中学2年生だった反田さんは、雑誌などでコンクールを探し、4つのコンクールに出場します。
そして1つは最高位、他の3つは優勝という結果を残し、賞状を父親のもとに持って行き、渋々ながらも桐朋女子高等学校の音楽科に入学することを認めてもらいます。
音楽科に入学後は、基礎から学ぶようにとバッハやモーツァルトといった曲ばかりを練習させられ、苦痛と感じていたそうですが、おかげで2012年の高校3年生の頃に開催された第81回日本音楽コンクールのピアノ部門で史上最年少で1位を獲得します。
そして他の4つの特別賞も受賞し、ミハイル・ヴォスクレセンスキー氏というロシアの音楽家の推薦によりロシアに留学することもできました。
この頃になると、今までピアニストになることを反対していた父親も徐々に反田さんの才能を認めるようになり、長年の確執がなくなってきたそうです。
そしてロシアのモスクワ音楽院に首席で入学し、その後イタリアの国際ピアノ協奏曲コンクールで1位を獲得、そしてメジャーデビューも果たし、ピアニスト反田恭平が誕生します。
2017年にはポーランドへ留学してショパン国立音楽大学に入学し、第18回ショパン国際ピアノコンクールで2位になりました。
手首の骨折がきっかけでピアノを始めた!
元々体を動かすことが好きだった反田さんは、小学生の頃にピアノは片手間にサッカーに熱中しており、将来サッカー選手になることを目標に日々練習していました。
しかし、小学5年生のころに大事な試合で骨折をしてしまい、骨折の痛みがトラウマになってサッカーを辞めることにしました。
そこで将来なりたいものを考えたときに、片手間ながらもずっと続けていたピアノを思い出し、ピアニストになるたいと思うようになり、より真剣にピアノにとりくむようになりました。
【別人級】身長170㎝体重49㎏の過去有り!
現在の反田さんはがっしりした体形ですが、2017年のショパン国際コンクールまでは細身のすらっとした体形でした。
肉体改造をした理由は、理想の音でピアノを弾くためです。
一時期はライザップに通って筋肉質な体形にしたそうですが、ピアノを弾いた時に音が角ばった感じの音が出るからと言う理由で、ある程度脂肪をつけるようにしました。
ピアノを弾くことと体形はあまり関係ないように思われますが、反田さん曰く「ある程度脂肪がある方が脂のある音で理想的な音」だそうで、自分の理想的な音を出すために太ったそうです。
素人からすればまったく違いは分かりませんが、プロの耳には細いときと太ったときとでは音の違いがまったく違うようです。
趣味は料理で音楽と繋がるものがある
ピアニストなどの音楽家は一見体力は必要ないように思われますが、何日も続くコンサートなどでは想像以上に体力を使い、普段も何時間も楽器を演奏するので体力が必要です。
反田さん自身も大きなコンサート後には必ず熱を出すそうで、体つくりのためにしっかりジムに通っており、食事にも気を使っているそうです。
体づくりもピアニストのためには大切だと言う反田さん、ご自身で料理をすることも多く、ロシアに留学しているときにいろんな国の人に会ったため、ロシア料理はもちろん、イタリアやトルコの料理も作れるそうです。
魚もさばけるらしく、結婚した今は休日に奥さんの小林愛実さんやお子さんに料理を作っているようです。
まとめ
反田恭平さんの実家の家族構成と生い立ちについてまとめました。
長年確執があった父親とも現在は良好な関係なようで、ピアニストとして今まで頑張って来て本当によかったのではないでしょうか。
将来は音楽学校を作りたいと話している反田さん、これからの活躍にも注目です。