佐野晶哉の生い立ち!幼少期から劇団四季ミュージカルに触れてきた子役時代

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Aぇ!groupのメンバーでドラム担当の佐野晶哉さん。

歌が上手くてダンスもできてお笑いのセンスも抜群、現在は深夜ドラマの主演も務めていて、ますます人気が出てきましたね。

そんな佐野晶哉さんの生い立ちについて調べてみました。

劇団四季に所属していた経歴を持つ佐野晶哉さん、、劇団四季を辞めた理由などもわかったので、さっそく見ていきましょう。

目次

誕生から幼少期時代

佐野晶哉さんは、2002年3月15日に兵庫県西宮市に生まれました。

高校野球で毎年賑わう甲子園球場があるところですね。

父親が音楽が好きで、5歳上の兄、幹仁さんも楽器をやっていたことから、小さいころから音楽がすきだったようです。

7歳の頃からミュージカルスクールに通い、バレエ・タップダンス・ジャズダンスなどのダンス、そして歌や演技を学ぶようになり、小学4年生になると劇団四季に所属してミュージカル俳優として舞台に立つようになります。

劇団四季ミュージカルの子役に

佐野晶哉さんは、小学4年生から小学校卒業まで劇団四季で子役をやっていました。

「サウンド・オブ・ミュージック」や「ライオンキング」に出演し、ライオンキングではヤングシンバに抜擢され、1幕の主演を務めました。

劇団四季を辞めた理由は?

佐野晶哉さんが劇団四季を辞めた理由は「ヤングシンバ役の任期を終えたから」だと思われます。

厳密に言うと、佐野晶哉さんは劇団四季には入団していなかったそうです。

劇団四季は入団するためのオーディションもありますが、ヤングシンバ役は一般公募だったので劇団員でなくてもオーディションを受けることができる役でした。

佐野晶哉さんはヤングシンバ役をオーディションで勝ち取り、2年間ヤングシンバとして舞台に立っていました。

しかし、ヤングシンバは12歳までという年齢制限があるため、小学校を卒業すると自然とその役から降りることになります。

そのため、劇団四季を辞めたというより「ヤングシンバ役の任期を終えた」という言い方が合っているかもしれませんね。

アイドルになるきっかけは?

佐野晶哉さんがジャニーズに入るきっかけになったのは、母親が履歴書をジャニーズ事務所に送ったからです。

中学2年生の頃、お兄さんの幹仁さんの友達が出ていた堂本光一さんの舞台「Endless SHOCK」を観に行き、劇団四季とはまたちがう舞台に衝撃を受けたそうです。

母親に舞台のことを熱く話したところ「この子はジャニーズに入りたいんだわ」と勘違いしてしまい、履歴書を送ってしまいます。

当時は学校の吹奏楽部に入部していて、オーディションの日は吹奏楽部の夏の大会が終わった翌日でした。

「もしオーディションが1日早かったら部活を優先して行ってない」

と言うくらい、吹奏楽部に熱中していて、ジャニーズにもまったく興味がなかったそうです。

ミュージカルとは全く違う形で歌と踊りをするようになって、最初はあまりやりたくないと思いながらも、舞台に立つとお客さんが笑顔になってくれていることを嬉しく思うようになりました。

劇団四季の子役時代から「お客さんが笑ってくれたり、拍手をしてくれたりしたら、すごく嬉しい」と言っていた佐野晶哉さん。

ミュージカル俳優とは少し違うけど、同じ表現者として通じるものがあると感じた佐野晶哉さん、どんどんアイドルという仕事が好きになって打ち込むようになります。

現在について

佐野晶哉さんは2024年5月15日に「Aぇ!group」でCDデビューしました。

現在は「離婚後夜」という深夜ドラマで主演を務めています。

デビュー前からすでに認知されて人気の高いAぇ!group、歌もダンスも演技も、そして関西出身のグループだけあってお笑いもできるグループなので、これからますます人気になるでしょう。

まとめ

Aぇ!groupのメンバー、佐野晶哉さんの生い立ちから現在までをまとめました。

音楽一家で、ご実家には防音室もあるらしく、防音室にこもって楽器を弾くことが多かったようです。

歌もダンスも上手で演技もできて、ピアノもギターもドラムも弾ける佐野晶哉さん、今後の活躍に注目です。

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